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祖母の原稿

今日は、終戦の日。

前に帰省した時に、片付けを手伝っていて、見つけた亡くなった祖母の原稿を持ち帰ったのを思い出し、読み返しながらWordに打ち込んでみた。
色々な活動をしていた祖母だから、誰かに頼まれて書いたものだろう。
実際、どこかに載ったのか、一体これを掲示していいものかも、よくわからない。
苦労話も、人の陰口も口にしない、未来だけを見て生きていた祖母が終戦前後の様子書き記したもの…。
付け加えたりした後があるから、下書きだったのだろう。

辛い思い出は、置いて来たから、楽しいことしか覚えてない…と何も話してくれなかったけれど、
原稿を読んで、祖母の若い時代に触れることが出来る。

もし、ご興味がある方は…続きで読んで下さい。

at_home-20120815-1(前の)

もう、新たな戦争が起きませんように…。




外地で終戦を迎えて  

あの忘れられない終戦の日、8月15日。 今、思い出しても胸を締め付けられるようです。 アカシヤの花の美しい並木道。 エキゾチックな港町大連で終戦を迎えて、いつの間にか47年も経ってしまいました。 私にとっては引き上げて来てからの年数がずっと長いのに、外地での生活の思い出で一杯です。

満鉄社員であった主人は、大連埠頭局に勤務していました。 昭和10年に長女がうまれて、2ヶ月ぐらいして、北鮮の羅津に転任し、暗い戦雲の漂い始めた昭和13年に、次女が羅津の満鉄病院でうまれました。
もう、その時はソ連との国境では戦争が始まり、病院の看護婦さん達も動員され、生々しい情報が次々と入り、灯火管制の続く毎日でした。 病院のベッドの上で、私は戦争に巻き込まれる覚悟をしていました。

その時、夫は牡丹江総局勤務になり、先に赴任していました。 敵機に見舞われていた空も少し落ち着いたので、私も子供達と牡丹江に引っ越し、北満のあの厳しい、零下40度近い冬を過ごしました。 外に出ると鼻水がパリッと凍り、眉毛がカチッと引きつり、びっくりしました。 また、大陸の夏は焼け付くような暑さです。その暑い8月に、内地から輸送されて来られた兵隊さんたちに、牡丹江女学校の工程で、食事奉仕をしました。 次女を背中にくくり付け、愛国婦人会のたすきをかけ、皆甲斐甲斐しく働き、兵隊さんを励ましました。

15年に大連に帰ったその翌年、太平洋戦争が始まり、それから終戦まで、色々な出来事がありましたが、苦しい中を何とか生き抜いていました。 そして、陛下の詔勅が下った日の前日、私達ははっきり玉砕して死ぬ覚悟をしていました。

終戦後の2年間、次々と入って来たソ連軍と今までと手のひらを返したように態度の変わった中国人達の中で、日本人の売り食い生活が始まりました。何を考える暇もなく、生きることで精一杯の日々が続きました。 その中、奥地の日本人の内地引き上げが始まり、大連港と中国のコロ島に集結されました。 私は、引揚者のお世話をする役を命じられ、無我夢中で頑張りました。

一次引揚者は、病人、子供の多い人、働けない人でした。 二次、三次と続いて、ソ連軍の指揮のもとに、20万近い人たちの引き上げが始まりました。 引き上げた人たちの家の点検に中国人と一緒に回りました。 売れるものは売りつくした後の家の中には、写真の入った学等が散乱していて、涙が出ました。
主人は、私がこんなお世話をしていると、日本に帰れなくなるのではないかと心配し、私と喧嘩することもしばしばでした。 それも、主人もなくなった今は、懐かしい、悲しい思い出となりました。

それから、やっと私たちの引き上げの番になり、港に集結し、迎えに来た貨物船の甲板に、小さな日の丸の旗が風にはためいているのを見た時、岸壁に立っていた全員、声を上げて泣きました。 本当に久しぶりに見る日の丸の旗でした。 その日は、ちょうど、今の建国の日、紀元節の2月11日でした。
あの時、日の丸を見た感激。 私は一生忘れることはないでしょう。 港の地面は凍りつき、海の風は、身を切るような寒さでしたが、全員、日本に帰れる喜びで、胸は熱く燃えていたのです。

戦争はいけないことと分かっています。 また、戦争について色々の批判もありますが、その当時の人々は、日本の行き詰まりや、不景気などを何とかしいようと必死だったのです。 国を愛する心に変わりはありません。
でも、この戦争の苦しみを経験した人々は、だんだん少なくなっています。 コレからの時代に生きる人たちのために、世界中の人々が、人の命を大切に、そして美しい地球を守るために、一人一人がしっかり認識して生活して行く努力をしなくてはならないと思います。

思い出は限りなく多く、語り尽くし、書き尽くすことはできません。私は今までに身を以て体験したことを無駄にすることなく、これからの残りの人生に活かして、明るく生きていきたいと願っています。

最後になりましたが、戦争で尊い命を失われた方達、その家族、そしてまた多くの一般の方達のご冥福をこころからお祈り申し上げます。

(祖母78歳時の原稿)
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| もろもろ・・・ | 17:46 | comments:1 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT

戦争を通じて平和の尊さを訴え続けて行かなくてはいけませんね。

| 俊樹 | 2012/08/15 17:58 | URL |















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